おとらのヒトリゴト

双極性感情障害Ⅱ型。40代主婦。書きたいと思ったことを書きます。

昔のこと

病気が発症したのは、産後うつが落ち着いて、でも、不安定な状態で、3年間子育てを頑張った後、幼稚園に子供を預けられることになって、緊張が切れたのか、動けなくなったのが始まりだった。

 

男の子で、本当に大変だった。

私の精神状態も良くなかったのかもしれないし、それを察知して、安心感がなかったのかもしれなかったのだけれど、ほぼワンオペ育児で、寝るときに今日も1日終わったとホットしていた記憶がある。朝、息子が起きることがストレスでしかなかったし、息子を可愛いと思えなかった。

 

一生懸命、いい子に育てようとしたし、いい母親になろうとしていたと思う。もっといい加減に手を抜けてたら違ったのだろうか?

 

調子の悪い時は、息子を迎えに行かなきゃいけないのに、どうしてもできない、なんで、できないかわからないけど、できないって状態だった。母に頼んだりしたけど、迷惑そうにされて、落ち込んだりしたなぁ。大変だったんだろうけど、誰も労ってはくれなかった。私が悪いと言われた。頑張れと言われた。

 

頑張って、クタクタになって、そうなったのに、よく頑張ったね、辛かったね、ゆっくり休みなさい、それがあなたの今やることだよとは、誰も言ってくれなかったなぁ。

 

全然、起きることができなくて、夕方4時に起きて、また、夜11時に寝る、みたいな日を何日が過ごして、その後に寝れないけど、起きることもできないツライ日々を過ごしたりした。

 

良くなってきても、どうしてか家事が出来なかった。良くなろうとネットで治療法ばかり検索していた。

 

ただ、いる事が苦しかったり、怖くて仕方なくなったり、周りを恨んだり、自分を責めたりした。希死念慮がずっとあって、帰ってきたら、首をつっているのではないかと夫が思っていた時期もあった。

 

トイレに行くのも億劫だった。

どうして、こんなにツライのに、病院に行かなければならないのだろうと思った時もあった。実際、夫に行ってもらったことが沢山ある。

 

どうして、こんなツライのに、なんにも出来ないのに一人ぼっちにされてるのだろうとよく思った。誰か、そばにいて欲しかった。

 

病院も何度も変わった。先生が私の顔もみてくれないようなところが沢山あった。

 

これを治して、それを人に教えるのが私の使命だと思って、頑張って治療しては、うまく行かないの繰り返しだった。でも、そう考えないと自尊心が保てなかったのかもしれない。

 

昔は、大変だった。

 

今は、ずいぶん楽、息子も楽になった。

話し相手をしてくれるようになった。

 

誰からも責められなくなった。

ゆっくり横になることもできるし、ドラマも観られる。前は、テレビが辛かったっけ。

 

横になって、ツライのに気晴らしも出来ずに耐えてる時、牢獄に入れられている気がした。

 

横になって、動けなくて、何も出来ない時、聞こえてくる音に耳を澄ましていた。夫が帰ってきて自転車を止める音が聞こえると嬉しくなった。

 

なんにも出来なかったのだ。

今は、ずいぶん、良くなったなぁ。